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2017年10月21日土曜日

Me perdi en wl Eden 小説


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この国、このアメリカ大陸にレイナみたいな女が何人いるだろう、それでも自分が知り合った一人の娘が今、前に一歩踏み出そうとしている。そのことが何かとても大きな事件のような気がしている。たとえ嵐の夜に灯る、ちっぽけなロウソクの火のようであろうとも、懸命に守らねばならぬもの。
  公園に着くといつも少し遅れるレイナがもう来ていて、テーブルのある一角のいすに座って何か書き物していた。そっと近づいて声をかけると彼女をびっくりさせてしまった。
「まあ驚いたわ!あなたったら子供みたい。ねえ、それよりいよいよ私、おもい切って学校行くことにしたの。昨日工場長に頼んで、水曜と土曜の三時からあがれるようにしてもらったわ。しぶしぶだけど他の日に時々残業するならいいって」
「おめでとうレイナ!そりゃあいい。いつまで支払わなければいけないの?」
「明後日まで、実はね、日曜日におばあちゃんが帰り際に一〇〇コロンくれたの。あなたの八〇コロンは給料日でいい?そしたらこのお金で手付を打ってあとは少しづつ払えるか聞いてみる。だめだったらもう一つ仕事をするなりして、何とかなると思うわ」
「レイナ、美容師の勉強に集中するんだ。授業料は僕が出す」
「ありがとう、でもまだあなたには借りてるのよ。それは出来ないわ」
「いいかい、想像してごらん。実は君には小さい時、離れ離れになった兄がいて、そいつはアメリカ合衆国に不法入国してたんだけど、先日チョット稼いでこの国に帰って来て、探してた可愛い妹をやっと見つけだした」
「・・・・・・妹じゃなくて、数年前に離れ離れになった恋人がいて」
「そっ、それでもいいけど・・・・・・」
「ありがとう、本当に借りていいの?」
「もちろんさ」      
「じゃあ、一つだけ約束してくれる!美容師になれたら、あなたのそのきれいな黒髪を私に切らせて」
「うれしいなー、なんだったら直ぐにだってかまわないよ。ちょうど切りたいと思ってたんだ。レイナの練習にいいね、切ってよ」
「ダメ、私がちゃんと切れるようになってから。それまで待って、あなたが私の最初のお客様ってもう決めてるの」
 僕のことを大切に思ってくれてることが嬉かった。
「ねえ、見て」
と言ってレイナはノートを見せた。そのノートは真新しい紙と印刷剤の放ついい匂いがした。表紙の下には彼女の氏名が書かれていて、その隣に僕の名前が書いてある。FUTOSHCとなっていたのでFUTOSHIと訂正する、彼女は文盲ではないがスペイン語を完全に習得出来ていないのだろう。この国の文盲率の高さを考えれば自然なことだ。セルヒオのいうには、若い兵士達の大多数も文盲だという。
  最初のページをめくり、レイナが言う。
「あなたの名前をここに日本語で書いて」 ひらがな、カタカナ、漢字で書いて、レイナの名も書いてあげた。そして漢字が一つ一つ意味を持ち、幾通りかの発音があり、その数を言うとびっくりする。
「日本人はなんて頭が良いの!」
「全部知らなくてもいいんだよ。僕も読めても書けない字がいっぱいあるし」
 レイナは日本語で書いた自分の名をまねて楽しそうだ。それから日本人が好きな物語を何か聞かせてとねだった。“鶴の恩返し”をしてあげるととても気に入ったようだ。
「つるは可哀想・・・・・・。その男とずっと一緒に暮らしたかったのよ」
と、ため息をつく。
「これが西洋の神話や物語なら、魔女の杖一振りで、つるは人間に変わることが出来たんだけどね。日本のは違うんだ」
「ねえ、次に会った時、別の話もしてくれる」
「もちろん、じゃあ次は浜辺でいじめられてた亀をたすけた若い漁師の話をしてあげる」
「えっ、どんな話?少し教えて」
「亀はお礼にその若者を海の底の楽園につれて行くんだ。そこには美しいお姫様がいて、若者は時の経つのを忘れてしまうんだ。今日はここまでだよ」
「ああ、楽しみだわ、きっとよ!」
  見つめるレイナの瞳がキラキラして悲しくて美しかった。

 

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バスはオシカラ村の中央広場に着いた。想像出来たにもかかわらず,着いて驚いたのは兵士の多さである。僕らは早くも計画に悲観的になってしまう。とにかくこの広場は目立ち過ぎるので、とりあえず、すぐに人目のつかない所へ行ったほうがいい。それでなくても二人は白人と東洋人で目立つ。観光で外国人が来るはずもない場所なのだから。急いで見通しのきく広場を離れて遠ざかりながら、食堂かカフェを探すが、そんなものがここにありそうもない。通りすがりの村人に聞いてみると、さっきの広場の屋台以外にはないが、この先の雑貨屋で簡単な食事を出してくれる所があると言い,親切にも案内してくれた。
 店に入りセニョーラに何か食事が出来るか聞くとOKだと言うので、やっと荷物を下ろして簡素なテーブルにつく。出してくれたものをすきっ腹にかき込んで、インスタントしかないコーヒーを注文して、一服しながら店のセニョーラと世間話をした後、何気なくこの村から先へ行く交通手段があるか聞いてみた。それはもう、ここ七,八年前からないと言う。そして歩いて行くにも,橋が破壊されてるのでトロラ川を渡らなければならない。ところが今は雨季なので川は水量が増し二〇メートルから三〇メートルぐらいの川幅になってるはずだと言う。
  トレイシーがバッグの中をゴソゴソやっていたかと思うと、情けない顔をして地図がないと嘆く。さっきの検閲の時に没収されたのかと聞くと、そうではなくアパートに忘れたようだ。まあだいたい頭に入ってるからと強がるが、もともとあいまいだった計画は、ここへ来てぐちゃぐちゃになってきたような気がする。おまけにトレイシーは泳げないと告白し、ショックが重なる。そうなるとロープが必要になるだろうが、ここで手に入るだろうか?店を見渡しても地図もロープも置いてなさそうだし、直接聞くのもはばかられる。準備不足だ。もっともロープなど持って来てたら検問に引っ掛かって没収され、僕ら連れて行かれ尋問されただろう。地図も忘れて良かったのかもしれない。
 気がつくといつの間にどう嗅ぎつけたのか、店の外には村の子供達が集まっていて、僕らをものめずらしそうに見ている。場所を変えてもついて来るだろうから、飽きるまでほって置くしかないだろう。ところが減るどころか、見物人の子供達は増えてくる。僕はトレイシーに、上手くはないが子供達に解からないように英語で話そうと提案する。彼女もそれがいいとさっそく切り出す。
「ここからペルキンまで四〇キロメートルぐらいだと思う」
「十四キロぐらいならたいしたことないか」
「ちがうわよ、フォーティーよ」
「なんだって!山道で四〇キロもあるのかい!」
と僕が驚くと、それが英語、いや少なくともスペイン語でなかったにもかかわらず、ペルキンとか、何キロメートルとか、僕の驚きの表情もあったのか,子供たちの中から
「違うよ!ペルキン村までは二〇キロ位だよ」
と教えてくれる子がいた。トレイシーは完全に白けている。僕の方はペルキンまでの距離が四〇キロから二〇キロに減って嬉しいやら、こっちから英語で話そうと言い出した手前カッコ悪いやらで、どうしたらいいものか戸惑ってしまう。
「どうしてそれぐらいの英語がわからないの」
  トレイシーが情けなさそうに言う。たかがフォーティーンとフォーティーの、僅かな違いでしかないではないかと思うのだが,ここは我慢して続けるしかない。
「君こそなにがだいたい頭に入っているだよ、あのねぇトレイシー、日本ではブリティッシュイングリッシュしか教えてないんだよ。君のその,かたいオージービーフを噛みながら喋っているような英語じゃあ聞き取れないこともあるさ。もっと正確に発音してくれよ」
 何とか英語が通じたようで、トレイシーが僕の注文にむかついている。子供達も何の話をしてるのか、探っているが解からないようだ。
「ところで、私達の想像と違って、この村には相当の数の兵士がいるようだけど、脱出できる可能性はあるかしら」
「これから僕が村の周囲を見に行ってくるよ。見てから報告するから、君はここで子供達を引き付けておいて」
「ちょっと待ってよ、私も行くから。村の周りには有刺鉄線が張り巡らされていて、かなりの兵士が警備しているはずよ」
「でもどこか手薄なところがあるはずだよ。そこから出るしかないだろうね」
「いかにも無防備で警戒してない場所の先には、たぶん地雷が敷き詰められているはずよ。そんなとこは逆に要注意ね」
「そうだとしたら、どうやってここから先へ行けるだろうか」
「暗い時間に村の外へ出て行こうとしたら、捕まえようなんてしないで直ぐ撃ってくるわ。それに私達がここにいることは報告してないし、正当な発砲ということになるわね。地雷を踏むのも撃たれるのも避けなければね」
「えっ!地雷、まいったな。君が先を歩いてくれる?」
「どういう意味よ!最低。でも、もし地雷も踏まず撃たれもせず外側へ行けたとしても、外側に兵士はいないのかしら」
「こういう時に“もし”を使うのは不適切じゃないかなぁ。そういえばバスがここへ着く手前で兵隊を満載したトラックが二台、山のほうへ入って行ったけど、あれは村の外を警備しているのか、あるいはゲリラと戦闘するための兵力じゃないのかなぁ」
「ずっと先の川までたどり着いたところで兵士にでく合わせるかも、あるいはゲリラ側に撃たれるかもしれないわね」
  何度も聞きなおしたりしながら、僕のいびつな英語でなんとかこの辺の話は出来た。と思う。子供たちもわけの解からぬ会話に飽きたのか少し減ったようだ。このままでは何の具体策も出て来ない。
「トレイシー、時間を無駄に出来ない。暗くなる前に村を回って周囲がどうなっているか見てくるよ。それに使えるロープも手に入るか、なければ蔓でなんとか代用しよう」  
「私も行くわ、二手に分かれて逆に回ってみましょ、すれちがったら後でここで」
 店のセニョーラに荷物を預かってもらい、村の境界線を探ってみることにした。まず僕が先に出る、出たとたん、店の前の道の角に肩から銃を掛けた兵士が二人いて、僕と目が合うと視線を避けた。


                                     つづく

国境 1

サンディエゴから メキシコ最大の国境の都市ティファナに。 越境を試ろみる人々、家族を残して送還され再入国を伺う者、 コヨーテ(密入国斡旋業者、大半はマフィアが絡む)に頼めば10000ドルから15000が相場、大金だしアメリカに入国出来たとしても今はすぐ捕まる可能性が高い。国境まで自分で来れば3000ドルからともいう。


Desayunador Padre Chava パドレチャバ朝食配給センター。毎朝 8時から10時半までホームレス、貧困者 (ほとんどが強制送還された人々)
800から1200人が訪れる。
フランシスコ派サレジオ会の教会が運営し、ティファナ市やアメリカ合衆国側のサンディエゴの法人、個人の寄付、食材提供などにより賄われる。行列ができる外部の敷地には医療バスも待機していて無料受診、手当も。
米,豆、パン工場からの残り物のパン(すこしかたい) とソーセージ、野菜、じゃがいもの煮込みが定番だがソーセージのない日も、、、。
キッチン、ウェイターは送還者、海外、国内の学生ボランティア。僕がいた間にもアメリカ合衆国、ノルウェーの高校、大学生、またドラッグ中毒の更生施設から来た若者などが来てた。終わると片づけをしてボランティアにも食事が。初日だけはおいしかった。



鉄板の破れから見えたアメリカ合衆国側に国境パトロールの車体








2017年10月20日金曜日

Chiste 天国と地獄


ある強欲な男が夢をみた。天使と悪魔が現れ、おまえに天国と地獄を見せてやろうと言った。最初に天使が天国に連れて行った。そこでは大きなテーブルに豪華な食事が沢山並べられて、幸せそうな人々がそれを取り囲み今にも宴が始まろうとしていた。
  次に悪魔が地獄へ誘った。男はあまり乗り気ではなかったが、めったにない機会なんだしと、ついて行った。酷いところだと想像していたにもかかわらず、驚いたことにそこには大きなテーブルがあり、やはり豪華なご馳走がふんだんに用意され、人々が集まり宴が始まらんとしていた。
  男は、これでは天国も地獄も違いなんてないじゃないかと抗議し、本当にまったく同じなのかと悪魔に念のため聞いた。悪魔は“そうだ、箸の長さまでまったく同じだ”と請け合った。
  目覚めた男は考えた。天国も地獄も同じならこの世で何をやっても罰はない、要するに捕まらなければいいのだ。そして男はあらゆる悪業をおこなった。そして老い死んだ。
  当然のごとく地獄へ送られた男は腹ペコで、御馳走で溢れんばかりのテーブルを他の人々と取り囲んで座っていた。はげしい空腹でよだれを垂らしながら殺気だった招待客に箸が配られて宴が始まった。
 箸の長さは1メートル以上もあって、誰も料理をつまんでも口に入れることはできない。手掴みで食べようとする者は地獄の番人たちによって殴られ放り出された。地獄の招待客たちはさらわれてなるものかと、他人の挟んだ食べ物をはじき落とし、唾を吐きかけ、あちらこちらで殴り合いまで始まった。
  男は御馳走を前に急激につのる空腹に胃酸で内蔵を焼きながら悶えた。だまされたと思ってあの時の悪魔を呪い、ののしった。そこへ悪魔が現れ言った。
“おれは嘘はついてない、天国もまったくここと同じなのだ、箸の長さまでな!”

   天国でも宴は始まっていた。人々は幸福に微笑み同じ長さの箸を起用に、またある者は不器用に、御馳走をつまみ隣や向かいの人の口元に運んだ。そうすると今度はその人たちが同じことをしてくれるのだった。


メキシコ大震災 2 Sismo en Mexico



被害の大きかったモレロス州、









 モレロス州立自治大学の大講堂に集積された支援物資、ここから各地に運びます。また大学内に設けられたボランティアの食堂、現地に行っても住民が食事を出してくれ、3日間空腹な思いはしなかった。

2017年10月15日日曜日

Me perdi en el Eden 小説



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 トレイシーが参謀本部に許可をもらいに行ってる間、僕がルーペに明日の出発の準備が出来てるか確認に行くことになった。もしかしたらルーペの頭の中にモラサンがユートピアのようなものに映っていたとしたら・・・・・・それはないか。行きたいならしょうがない。どうせ荷物は僕が持つか、それともガブリエラを僕が背負って行くかになるだろう。んっ!もしかして両方?とにかく荷物はコンパクトにしてもらおう。
  セントロの賑やかな通りから裏通りに入った、教えられた所にルーペが働く店はあった。夕方になると、この辺りの店に薄暗いネオンが灯る。店の前では女やオカマ達がお喋りしていた。ルーペが居るか聞いて中へ入った。彼女の小さな娘、ガブリエラが小走りにやって来た。刑務所にいるオスカルの仲間を彼らと一緒に訪問したとき、木陰でオシッコさせてやったのを覚えていてくれたようだ。まだ早い時間で客はいない。ルーペが奥から出てきて
「あら、来てくれたのね」
と、冷たいビールを出してくれた。テーブルに座り、さっそく用件を伝えるとどうも様子がおかしい。ルーペはしきりに右の肋骨の辺りをかばっている。
「どうしたの、どこか具合悪いの?」
「実はおととい私服の警察達がやって来て、罰金だと言って賄賂を要求されたの。私達は払わなかったんだけど、そしたら(オカマの)サンドラとグロリアが殴られたの。それで私とマリソルも止めようとしたら、私は胸の下を蹴られ、マリソルは連れて行かれたの。以前からたまに来て賄賂を取ったり、ただで飲んだりしていたんだけど、新政権になってからちょくちょく来るようになったの。私達もそんなに払えないから」 店頭のオカマの顔にあざが出来ている理由がわかった。マリソルはまだ戻ってなくて、今回は長引くかもしれないという。金が払えない時は体で払わされることもあって、それが今回マリソルなのかもしれない。ルーペもこれまでに、二度連れて行かれたことがあるらしい。潜在失業率六〇%と言われるこの国で、体を売るしかないルーペ達から、法をかざし賄賂をせびり暴力を振るう。
 他の言語は知らないが、英語やスペイン語のスラングでどうしても好きになれないのがある。ビッチやプータといった娼婦を表わす言葉の組み合わせだ。
「ふとし、ごめんなさい、私やっぱりここに残るわ。山へは行けない。こんなわけで人も足りないし、マリソルのことも心配なの。次の機会がもしあるなら、その時ぜひ行きたいと思う」
  ガブリエラを膝に乗せながら見つめる表情は、どこか宗教画のマリアに似ている。穢れや私欲がなく、ちゃんと教育を受けたらおそらくそれなりの立場ある仕事に就けただろう。彼女は問題意識が強く、暇を見つけてはオスカル達と一緒に女性(政治犯)刑務所を訪問したり,トレイシーや記者たちの話をいつも興味深く聞いている。
「かまわないよ、気にすることない。トレイシーには僕から事情を説明しとく。それより医者にみせたの? 痛そうだけど」
「大丈夫、ただの打撲よ、湿布貼ったから、休んでもいられないし」
「ルーペ、一つ聞いていいかなぁ」
「なあに、いいわよ」
「ルーペはどうしてモラサンに行きたかったの」
  彼女は少し考えをまとめるように時間をとってから言った。
「モラサンのゲリラ側には入れたら、そこにこの子と残ってやり直そうと思ったの。あっちの生活が楽じゃなくて危険だとは思うけど、そうしたかったの。ねえ、もし山へ行けたらあっちの様子を教えて」
「もちろんだよ。絶対に帰ってきてここへ寄るよ。ガブリエラにも会いたいしね」
  オカマのグロリアが、私もビール欲しいって言うので奢ってあげて、それからは艶っぽい話になった。そうこうしていると、ちらほら客が入って来て飲みだしたので、おいとますることにした。店を出る前にトイレを借りた。奥にあるトイレに行く通路の脇にはカーテンで仕切られた小部屋がいくつかあって、赤い小さな電球の、弱い灯りが少し開いたカーテンの隙間から漏れていた。ここで客の相手をするのだろうが、ルーペとガブリエラはここで寝泊りしているという。ガブリエラは昼間、店中走り回って顔まで汚れている。
  この子がもう少し大きくなったら、この環境はどう映るだろう。ルーペにアパートを借りる余裕などない。そしてガブリエラは少しずつこの世界が見え始めている。ルーペの話だと恐そうな男が来ると、ママ、ポリシア(警察)、ポリシア!と言って怯えて跳び付いてくると言うのだ。ガブリエラを抱え揚げると、その小さな兎口の唇で頬にお別れのキスしてくれた。

 

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  朝、ホテルから荷物をトレイシーのアパートへ移す。クリスも居ない間の留守番を兼ね引っ越す。ねぼすけのトレイシーも今朝は起きていて、三人でコーヒーを淹れて簡単な朝食をとる。なんといってもコーヒーは、グァテマラ、エル・サルバドルの中米と、コロンビアのものが僕のお気に入りだが、ここへ来るまで、それがどうやって生産されるのか、誰がくそ暑い中で働き、誰の懐に利益が転がり込むのか考えもしなかった。それはエル・サルバドル、それにコーヒーに限ったことでもない。 多国籍企業と途上国の関係、貧富の問題の解説も、毎日、次から次に吐き出される、世界のいたる処で起きている戦争や弾圧の報道も、遠く離れた国に住む人間にとっては、ただ消化され排泄されるもの。その瞬間、同情や憤りを覚えても、いつの間にか忘れてしまう。どこか忙しい朝の排便行為に非ずとも似ている。 自分の生活に関わる、税金や保険料が上がるというようなニュースだけを記憶し、知らない国で起きていることなど、僕だけでなく大方の人間には、記憶の図書館の片隅に放り置かれてほこりを被るだけだろう。
 僕は何を求めて山へ行くのか、自分の中でなんの総括もされていない。トレイシーはジャーナリスト。クリスは帰国して論文でも書くだろう。だが僕はただの旅行者のままであることに今更ながら気付くのだ。それならそれでいい、僕は旅をしているんだ。ガイドブックでお決まりの旅行が嫌だからこういう形になったけど、これが僕の“地球の歩き方”ならぬ迷い方なんだ。いや形などないから旅なのだとコーヒーを飲み干す。
 クリスに残りの荷物と持ち金の半分を預け、僕らはバスターミナルに向かった。そこでホテルで見かけたドイツ人に出会った。
「いやー、昨日は大変だったよ!チャラテナンゴ(ゲリラ戦の始まった地域)の友人に、もしかしたら会えるかと訪ねて行ったんだけど、途中で軍の検問で引っ張り降ろされて、そのうえクアルテル(兵営)に連れて行かれて、二時間も尋問されたよ。結局会えなかったけど、まったく外国人はみんなゲリラのシンパと思ってるんだから。ほんとに恐かったよ。ちょうど新聞で拷問に関する記事を見た後だったし、なお更ね」
  話によると実際彼はゲリラの共感者で、その友人に会いに行ったと言うのだからしょうがない。彼はパスポートを二つ持っているという。今ニカラグア人と結婚して、ニカラグアに住んでいる。結婚したばかりなのに、もう子供が二人いる。その子供達はコントラ(ニカラグア革命後ホンジェラス側国境からアメリカの支援を受けてニカラグアに攻撃を仕掛ける旧政府勢力)に殺されたニカラグア人の子供を養子にしたという。もしも、もう一方のパスポートを持っていたらやばかっただろう。
  そういえばアメリカ人旅行者のケリーも、チャラテナンゴ近くで危うく逮捕されそうになり、自分は君達の持ってるその武器を供給している、アメリカ合衆国の国民だと何度も繰り返し、難を逃れたということだった。(ちなみにケリーはクリスに好感を持ってる女性に気があって、クリスをCIAだと言って問題を起こし謝罪なしで出国)
  今激戦区はチャラテナンゴからモラサンに移っている。ドイツ人の彼は住所を教えてくれ、ニカラグアに来たらぜひ訪ねて来てくれと言ってくれた。二メートルくらいある巨人の彼と別れの握手をすると手がしびれる。そんな彼が怖かったと言うので余計怖くなる。
  サン・サルバドルからサン・ミゲルまで南東にバスで三時間、バスを乗り換えてサン・フランシスコ・ゴテラまで一時間半、この道程が焼きつくように暑い。バスの中はぎっしり混んでいる。予定ではここまでたどり着いて、ここの参謀本部によって、大佐に首都の参謀本部でもらった許可証を見せなければならない。そして大佐がOKを出してはじめてオシカラ村まで行けるというわけだ。
  ところが、ゴテラに着いた時、トレイシーはどうした心境の変化か、このままオシカラまで行ってしまおうと言う。どうしてだと問うと、一つは今のモラサンの状況からして、ひょっとしたらここで足止めをくう可能性があること。もう一つはこれまでの経験からしても、ゲリラ側のテリトリーに入る許可が出ることは、ほぼ有り得ない。それならノーマークでオシカラまで行き、軍の警備が薄いところを探してそのまま村を出てしまおう。そしてFMLN側の前線の村、ペルキン目指して歩き続けようと言うのだ。そんなわけで可能性の大きい方を選択することになったのだが、僕はただトレイシーの無謀な決定に従ったというに過ぎない。いつも大胆不敵なトレイシーのことながら、彼女の横顔にこれまでに見たことのない迷いが見られるのが気になるのだった。
  サン・フランシスコ・ゴテラのバスターミナルに着くやいなや、本数の少ないオシカラへ向かう出発まぎわのバスを見つけ飛び乗った。このバスは首都からのそれに比べると一回り小型で、やはり混んでいて座る席もないので、トレイシーを乗客がつめてくれた座席に座らせて、僕は少年達と一緒にバスの屋根に登った。本来は荷物を載せるところで、バスの外部後ろにはしごが付いている。
  街を出て山道に入る。まだ日射しは強いが、バスがスピードを上げると風が生まれ気持ちいい。ゴテラまでは、窓を開けっ放して入ってくる熱い風で凌ぐしかなかった。熱中症寸前の、ここまでの道のりで失われた体力を回復しなければと一息つく。バスは緩やかな坂道をエンジンを唸らせながら走っていく。落ちないようにつかまって座り、オシカラに着いてからの事をしばらく考えていると、カーブを回ったバスの前方に突然、迷彩色の軍服を着て、肩や首から自動小銃を吊るした十数名の兵士の一団が現れた。
  検問だ。全員降ろされ、道路の脇に並ばされる。乗客は言われる前から身分証明書を出して兵士に見せている。僕らもパスポート、記者証、そして首都の参謀本部でもらった通行許可証を見せる。別の兵士たちは車内に入って、全員の荷物、それからシートの下まで、念入りに調べている。僕とトレイシーの通行許可証をチェックしていた兵士が、車内の兵士に僕らの荷物を持って来るように言う。そしてバッグの中の物をすべて道路に出し調べだした。もちろんあやしい物など持って来てないが、トレイシーの二台のニコンのカメラを手に取って調べだした時、すでにバスに戻っていた乗客達の視線がカメラと僕らに集まった。早く仕舞ってほしいと思う。僕らの印象が、オシカラ村に帰る乗客たちに残ると、着いてからの行動もやりにくくなる。あるいはそんな心配も意味なく、ここから追い返されるのだろうか。
  兵士の中でも上官らしい数人が通行許可証と僕らに視線を振る。追い返されるだけではすまない状況なのかもしれない。長引くと許可証の不備がばれる可能性がある。いやもうばれたのだろうか。ここは機転を利かせて何か言った方が良くないだろうかと、トレイシーに目配せする。すると彼女はにこやかに
「みんな待ってるから早くしましょうね、参謀本部の通行許可証はごらんになった?」
と落ち着いて言った。
「うーん、よし、いいだろう、荷物をまとめて乗りたまえ」
  うまくいったではないか!僕は気の変わらぬうちにと、急いで出てるものをバッグに収め、バスに戻ると乗客達も良かったねという視線で迎えてくれた。バスが走り出してからトレイシーに、どうしてばれなかったのかと聞くと
「あのクラスまでの兵士には、オシカラ村までの通行許可証ということは理解出来ても、そのためにサン・フランシスコ・ゴテラで許可をもらわなければならないということはわからないのよ」
と、想定の範囲内という表情で答える。それならそうと言っといてくれればいいのにと思いながらまた屋根に上り,着いたら着いたでどうなることやらともう考えるのも止めた。標高も上がり少し涼しくなって,少年達がもうすぐだよと教えてくれた時、もう一度検問にあう。そして一度目より厳しいチェックにもかかわらずこれもパスして、ついにオシカラ村までたどり着いたのだった。


                                                                          つづく


2017年6月4日日曜日

メキシコ大地震 1Sismo en Mexico

 メキシコの国境の状況を見たくて ティファナに来て数日、メキシコ地震の知らせを受ける。すぐに飛ぼうとするが高いチケットしかない。キャンセルがでてるはずで安くなってると思ってたのだが、キャンセルがでたのは便のほうだった。次の日になんとか深夜便に滑り込みセーフ。さっそくボランティアの列に加わるが若者を中心に有志があふれている。あきらめて違う被災現場に行こうと歩いてるとトラックに荷物を積み込むグループに出会った。
「どこへ行くの?」「サン グレゴリオ地区に」
シティの中心を南に外れた被害の大きかった場所だ。
「参加させて!」
「別の車の荷台になるけどいい?」僕らはメトロに乗って待ち合わせ場所に。地下鉄移動中にコロンビアから来た中年の男が参加、待ち合わせの車に乗り込むと荷台まで満杯。渋滞も緊急車ということで優先させてもらう(少々強引)。途中で運転手が道を聞いたら、その若者も
「僕も歩いて向かってるんだけど乗せて」
さらに満杯になるが士気は上がる。とちゅうぼぼ徹夜で作業。僕らのグループ2時間ほど仮眠することになってトラックの荷台と路上に横になったら現場から歓声があがる。皆飛び起きてまた現場に。がれきの下に人の気配が、、、
このグループのトラックの運転手は探査犬の調教師、犬の名はベン。お手柄、作業員全員に会話、物音を禁止して呼びかけるが、結局生存していないようだ。無念。


わが班のメンバー、犬の訓練士、労働者、失業者、学生、太平洋側のコリマ州から来た消防士の女性、ケレタロ州から2日歩いて来たチェ ゲバラが年をとったようなおやじ、医者の卵、コロンビア人、そして日本人、多様だ。
深夜過ぎて冷えたがメキシコ人のハートは熱かった。


24日、夜、11時メキシコシティー  デルバジェ区倒壊したビル3棟、そのひとつから6日たって生存者が救出される!僕らは別の近くのビルの現場にいたが、聞こえなかったけどメキシコ国家とシエリート リンド(美しい空)というこの国の喜びの歌が合唱されたらしい。泣けてくる。

* アップロード遅れてすいません。昨日メキシコより帰国


2017年5月8日月曜日

Me perdi en el Eden 体験記小説


 
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日曜日の正午、公園でレイナを待っていた。どうしたのだろう、彼女は今日の休みを一緒にいたいからと言ったのに。僕もとても楽しみにしていた。一時間たっても来ない。何かあったのだろうか、心配だ。もしかして何か彼女を傷つけることをしただろうか?思い出してみるのだが思い当たらない。
  あの夜、遠雷に時おり浮かび上がる彼女の後姿を見送った時、ふりむいた顔は光を集めてうれしそうに輝いてた。だからなおさら心配なのだった。この国では何が起こってもおかしくない。下宿に行ってみようか、でもすぐにレイナから、もうあの店には来ないでと言われたことを思い出した。おそらく急な仕事でも入ったのだろう。一時間半待って公園を出た。

 

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 夜、この頃みんなのたまり場になってる未亡人、サンタ(聖)・ドリス(彼女自身が皆にそう呼ばせている)の家に行くとトーマスやオーストラリア人ジャーナリスト、ケン、アメリカ人大学院生クリスが来ていて、テレビのニュースを見ながら皆で飲んでいた。ニュースでは今注目を集めているアンチ・テロリズム法についての論争をやっていた。
  この新法は新政権になる前から、アレナ党がその実行を公言していて、FMLNや反政府勢力の破壊活動を取り締まるというものだが、この法律が施行されれば今でさえ命がけのデモや抗議活動は壊滅的な打撃を受け、外出や集会の自由も奪われるだろうというのが反対する側の意見である。続く大司教へのインタビューでは、教会側がどのように答えるのか皆ビールを持つ手を止めてそれを見守った。
  その神父は、FMLNの武装闘争は支持してはいないと前置きし、しかしこの法律ではFMLN側のテロを防ぐことしか言ってないが、テロは彼らからだけではないと、もう一方の側のはるかに多いテロ、殺戮行為に対して批判したのだった。紛争地帯の村人、難民センター、国立エルサルバドル大学、イエズス会、中米カトリック大学、独立系新聞社、人権擁護委員会、労働組合連合本部の事務所などでの爆弾投げ込みや殺戮も、最初はFMLN側のせいにするが、軍、死の部隊のやったことだった。殺害予告してたとはいえ、八〇年三月にオスカル・ロメロ大司教が暗殺された時も認めず、アメリカとイギリスの記者が、その犯行にたずさわった者とのインタビューに成功し、死の部隊の犯行だということを証明しワシントンポストで報道した。そのためこの二人の記者はエル・サルバドルを去らねばならなかった。
  ニュースが終わってビールを買いに出て戻ると、トレイシーが来ていてしょんぼりしている。ビールを一本手渡しわけを聞くと、今のアパートの家賃が高いし、シェアしているカルロスが女遊びばかりして金を払わず行方不明で、家賃支払いが滞りそうだ。知り合いになったマリアの家に空き部屋があるというから、そっちへ移ろうと準備していた。
  だが、今日行ってみたらマリアから、申し訳ないが家主である叔母が、外国人ジャーナリストは皆FMLNのシンパだからいつか家に問題を持ち込む。それに電話を使うと盗聴されたりして迷惑だからダメだと言われ、断られたらしい。
  幾分誤解はあるにせよ、家族があれば心配なことでもあろう。それにトレイシーは多少無用心なところがあるしと、みんな思っているのだが、誰も言えないので僕が指摘すると睨まれてしまった。なかなか電話回線があって安いアパートはないらしい。そこで安ホテル住まいの僕とクリスにアパートをシェアする気はないか考えてほしいということであった。
  昨夜帰宅時に酔っ払いに襲われそうになったから送ってほしいと言う。途中で誘われてモラサン行きの相談もあるからと、安酒場に入る。ビールが来ると妙にかしこまった顔で
  「明日いよいよエスタード・マジョールへ行って許可証をもらって来るわ。私の勘だと許可が出るのはほぼ間違いないと思う。といって行けても軍側のテリトリーの最前線のオシカラという村までだけどね。その村に行くまでに、サン・フランシスコ・ゴテラ市の軍本部に行って、そこのコロネル(陸軍大佐)にまた許可をもらわなければならないの。でも首都でオシカラまでと言われたものを現場でその先までと頼んでも無理だろうし、あそこの状勢だと下手をするとオシカラまでも行けないかもしれないわ。もし行けたらゲリラ(正確には戦法のことだが、以後ゲリラ戦士、勢力)地域までアタックしてみましょ。前にチャラテナンゴで成功したから希望はあるわ。もっともその時と今では状況が大分違うけどね、もうあれから誰もゲリラ側との接触に成功してないの。まあ現場の雰囲気を見てからね」
「ところでトレイシー、もし僕らがゲリラ側に行けたとして、どうやって出てくるの?」
「そうね、入る方が難しいから今はそのことだけ考えればいいと思うわ」
  ちょっと不安ではあるが彼女を信じるしかない。でも何かとんでもない事を試みているような気もしないでもない。まあ乗った船、彼女の一大スクープの手伝いだ。それにしても本物のジャーナリストというのは凄いものだ。ケンやトーマスでさえビビッているのに、ましてやトレイシーは女だ。
  今回行くモラサン県は他の地域とは違うの。それだけは覚悟しといて。外国人のわれわれはここの人よりいくらか安全だったかもしれない。でもこの頃はこの国に来る旅行者も警戒されているわ。それにもう外国人の記者を含めて四〇人も記者が殺されてる。今年の三月には外国人記者三人が殺されたし、山へ近づけば危険は増すわ。以前チャラテナンゴでオランダの取材班四人が、ゲリラとの連絡役をしたと決めつけられて全員殺されてるの。私はこれまで何度か修羅場をくぐり抜けてきた。やばい時は笑顔がいい。笑ってる者は不思議と撃たないものよ。それに必要に応じて色気も使ってきたの。私一人の方が何かとやりやすいのはその点ね」
  そういえば色気はともかく、トレイシーは美人に見えなくもない。
「一度だけ本当に殺されるかと思ったことがあった。チャラテナンゴの山を一人で歩いていて軍の兵士に出くわしたの。その若い兵士は私を見つけるととんで来て私の腹部に銃口を押し付けたのよ。その男はブルブル震えていたわ。怖いのか、撃ちたくてしょうがないのか、もしかしたら彼自身、撃ってしまいそうな自分が怖かったのかもしれない。その時私はとっさに、頼むようにではなく、毅然としてその兵士が問いただす前に、私の方から彼にいろいろ質問したの。ああいう時は母親のように対応するのが一番よ」
  これは実践心理学だなぁと感心する。すると同時にそれが良い方法だったのかは疑問が残るが、現場を踏んだ彼女の言葉だから説得力はある。
「それからね、グアダルーペも一緒に行きたいって言うから連れて行くわ」
「なんだって、何を考えているんだ!もしかして僕らのカモフラージュにでも利用するつもりかい。ルーペ(グアダルーペの単称)はこの国の人間だ。彼女があそこの出身者なら里帰りとでも言えるけど、何でまた一番戦闘の激しいモラサンへなど来たんだって問われるよ。それによちよち歩きのガブリエラを連れて外国人の僕らと山へ入るのかい? 怪しすぎる、危険だよ」
  エル・サルバドル人は常に身分証明書を形態していなければならず、しょっちゅうバスから全員降ろされてチェックされる。先日など土砂降りのスコールの中でそれが行われていて気の毒に思った。
「それは私もわかってるわ。だからあなたの恋人ということにしたらどうかしら」
「そういう問題じゃない!誰が恋人を連れてあんなところに旅行するんだよ」
  だんだんと高めてきたモラサン行きの気概がしぼんでいく。まさに珍道中だ。
「許可なしで山へ入るのにエル・サルバドル人も外国人もないわ、見つかればつかまる前に撃たれる可能性の方が大きいんだから。それに先日、新聞で政治活動に関わろうとする外国人には、これより厳しく対処するという警告が出たばかりよ。あなたは日本人だから大丈夫ぐらいに思っているかもしれないけど、私が知ってる男性の話をしてあげる。その人とは昨年メキシコシティーの友情の家というユースホステルで知り合ったの。彼はあなたと同じ日本人よ。といっても実はブラジルの日系人。彼は医者で、この国のゲリラ側の地区に入り、村人を診ていたの。そして捕まり、外国の組織から送られた協力者として拷問を受けた。彼が言うには、その部屋にはネイティブの英語を喋るアメリカ人のCIAか、軍関係のプロフェッショナルがいて、拷問(アルゼンチン軍事政権からも五〇人を超える民衆弾圧、白色テロ、拷問のプロが軍事顧問団として、レーガン政権の要請で派遣される)の指揮をとったというわ。いろんな拷問を受け、しまいには電流を一方の極を歯に、もう一方を睾丸に付けられ,電流を流された。ついに自白しないとみるや、なにやら肺の機能が少しずつ弱くなっていく、白い薬を毎日飲まされたらしいの。その拷問者たちが聞くのは、おまえは北朝鮮の人間だろう?それとも日本赤軍か?と、執拗に問われ、言わないとみるや、そう言うんだと強制されたらしいわ。ちゃんとブラジルのパスポートを持っていたのに、どこで偽造したんだと信用しなかったの」
  僕は自分のパスポート(この頃)の最初のページに書かれている文章を思い出した。(このパスポートは朝鮮民主主義人民共和国を除くすべての国に有効であると認める)そんな日本人の僕が、いったいその国内で何をやってるのかさえ公表されない、国交のない国の人間にされたらたまったものではない。
「そしてね、体も弱って死を覚悟した頃、仲間から連絡を受けた国際赤十字に救出されて、その後メキシコに避難したというわけ。私が会った時は歯が抜け、肌はつやがなく、まるで死期の近い人のようだった。そして完全な性不能になってることを告白したの。肺の方も段々弱くなっていて、カナダにいい病院があるとかで、赤十字に協力してもらって連絡を待っているようだったわ。その後どうなったかは知らない」
  インポテンツという言葉が何故かおぞましく聞こえた。
「トレイシー、それ本当の話?」
「あなたを怖がらせるために、こんな話わざわざ作ると思ってるの。それからルーペの事だけど、やっぱり私は彼女の意志を尊重しようと思うの。彼女が行きたいと言うなら私は止めない。だって外国人に行けてこの国の人が行けないなんておかしいわよ」
  僕はこの時、ルーペの件がトレイシーの無計画さによるものではなく、僕らの文化の違いなのかもしれないと思った。堀江健一さんが小さなヨットで太平洋横断に挑戦しようとした時、日本政府は認めず、堀江さんはパスポートなし、密出国という形で出航するしかなかった。ただ前例がないからとか、安全を強調するだけではあの快挙はなかったのだ。今回のケースとちょっと違う気もするが・・・・・・。
  ビールを飲み干し、安全のために最善を尽くそう、と言って彼女に同意した。

 

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 大学へ行くとセルヒオがいて、四時から野党のリーダーで先日あの”死の部隊”に暗殺予告されている、ギジェルモ・ウンゴ氏の講演会があると言うので参加した。うまく聞き取れなかったのだがセルヒオの説明もあり、理解できたのは以下のような内容だった。
  保守(極右)政権の横暴と、北の巨人アメリカ合衆国の不当なてこ入れを非難し、多国籍企業とごく少数の富裕層による富の収奪から、いかに国民の生活を護るか。
  公正な選挙が行われていない現状において、全ての社会勢力が結集していかに改革をすすめるか、ということ。学生や知識人の社会的な役割、中米地域におけるエル・サルバドルの社会改革の意義など、を話していたと思う。
  そして学生や参加者との質疑応答で講演は活気づき、何かの話の中で氏は、そこにいた欧米人や僕を指し、外国人の共感に感謝すると言い、みんなと拍手をしてくれたのであった。
  講演も終わりに近づいたと思われる頃、突然大きな爆発音が二度あり、その後パキパキパキと銃撃戦が始まった。僕はビックリしたのだが、みんなけっこう落ち着いている。校内放送が聞こえて、音がするのと反対側の出口、正門の方から、落ち着いて速やかに退校するように放送がある。セルヒオに聞くと大学の敷地内ではなく、正門と反対側に隣接する兵営に、都市ゲリラが攻撃を仕掛けて銃撃戦が始まったと言う。流れ弾があるかもしれないので、みんな引き上げる。セルヒオと一杯やりたかったが、このあと道路が封鎖され、交通渋滞になるので残念だがまたにする。
  例によってひどい交通事情のもと、なんとかホテルに帰り着くと、番頭のチェぺ(ホセの愛称、ぺぺとも)が、にやつきながらセニョリータが待っていると言う。二階の奥の休憩場の椅子に座ってレイナが待っていた。
「お帰りなさいハポネシート(日本人の愛称)。ここだって言ってたから来てみたの、昨日はごめんなさい!」
と言って来れなかったわけを話しだした。
  昨日の朝、首都のはずれにある、伯母の家に同居しているレイナのおばあさんが、病気になって、彼女に会いたがってると突然連絡があった。それで大急ぎで出発して僕に連絡も出来なかった。ということらしい。僕が黙っているのを見て、怒っているのねと何度も聞く。チェぺの視線が気になるので、まだ暗くないし公園に行くことにした。
「本当にごめんなさい、おばあちゃんとこ行ってもずっと気になってたの。気が気じゃなかったのよ。怒って当然だわ、私だってとても残念だった。せっかく休めたのにあなたと逢えないなんて、どんなに楽しみにしてたか」
「バカだなあ、そんな大事な用なら謝らなくていいよ。怒ってなんかいないよ、本当に。それよりおばあちゃんの具合どうなの?」
「私はおばあちゃんの病気を呪ったものよ。でも着いた時は本当に具合悪くてびっくりしたの。それでもいつも行く行くって言ってばかりの私が来たのを見て、おばあちゃんとても喜んでくれて、それから随分良くなったのよ。伯母達も感心してた。信じられる?」
「信じるさ、だってレイナは周りの人を元気にするんだから。本当にいいことをしたね。心配したけどよかったよ」
「えっ、まさか私のこと心配してくれてたの?ほんとうに?」
「当たり前じゃないか」
「・・・・・・私のこと心配してくれる人がこの世にいるなんて」
「バカだね、おばあちゃんだって、そうだから会いたがってたんじゃないか。それにね、君が追い出されたと思ってるお父さんだって、きっと心配でしょうがないに決まってるよ」
「そうかしら」
「自分の経験から分かるんだ。高校生の時にね、親父と喧嘩して家出したことがあって、あの憎たらしい親父が一睡も出来なかったんだって。前から言おうと思ってたんだけど、両親に連絡とるべきだ」
「でも今の私には、何もない」
「なんだって、そんなこと何の関係もないよ。それにとんでもない勘違いだよ。例えば僕がレイナからどれだけのことを学んだと思ってるんだ。元気ももらってるしね、嘘じゃない」
「私から?こんな私が誰かに何かを教えることが出来るですって、人を元気にしたり?」
「そう、だからもう自分のことを卑下するのは今日で終わりにしよう。今度また同じことを言ったらひっぱたくよ」
「ありがとう・・・・・・。あのね、おばあちゃんがね、私が前より明るくなったって。元気になったって。そして大人になったっていうの。もしかしてあなたのせいかな」
  そうだとしたらどんなに嬉しいことか。僕こそ、日本に帰れば社会復帰もむずかしい何の取り柄もない男なのだ。そんな僕が地球の反対側に住む(罪と罰)のソーニャのような娘に、幾ばくかの元気を与えられたとしたら・・・・・・。世界を変える力なんてかけらもない男には、ちっちゃいけどこんな充実した歓びはないのだ。僕はこの国に来て初めて幸福を感じていた。
  レイナが少し怒った顔つきをして突然言った。
「さっき私に、ひっぱたくって言ったわよね」
「いや、あれは、なんていうか、たとえばの話で、つまり、本心じゃないんだ」
「ねえ知ってる?全然怖くなかった。ふふふ」  


                                                 つづく